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1955(昭和30)年である。この年の録音で注目すべきは「或る恋の物語」だろう。 ▲イストリア・デ・ウン・アモール/ パナマのカルロス・アルマランが最愛の妻に先立たれ悲しみの日々を送るうち(或る夜ベットから飛び起きるなり)つづったと伝えられているがこれはウソッパチ、1955年にこの曲が誕生したときにアルマラン夫人は健在だった。有名曲にはその誕生秘話はつきもので、その多くは一種の小説なのだが、この曲はそれらが生まれても不思議ではないメロデイを持っている。それはさておき、パンチョスの面々にいわせるとパナマを訪れた時アルマランに托されたことになっている(であるなら54年ということになる)(注)3.それとは別にこの曲はディメロ・アル・オイードという映画に使用された。これは疑いもなくメヒコ映画のリベルタ・ラマルケのEP、ビクター_MKE_130にイストリア・デ・ウン・アモールとともにディメロ・アル・オイードも入っている。だが彼女が主演したのかどうかは分からない。ラマルケのイストリア・デ・ウン・アモールはビクターの「55年のヒット集」に収められているのだがディメロ・アル・オイードともども彼女の単独LPに入っていないところを見ると、映画を通じてのヒットだったのに違いない。ビクターのラマルケのSPは9700、だがそれに先行してルイス・アルカラス楽団の9656があった。後述するロス・トレス・アセスやペレス・プラード盤が出るのは56年になってからである。ペドロ・インファンテも歌った(注)1.がこちらはスクリーン上だは歌っていない。ロス・トレス・アセスも歌ったが、彼らはこのあともアルマランのウン・セクレートとカミーノス・ディフェレンテス(注)2.を録音した。後者に関してはあとに出てくるがヒルも同題の曲を作っている。 ▲ペルドン/ プエルト・リコのペドロ・フローレス作 ▲バーホ・ウン・パルマール/ 同 ▲アバンドナーダ/ ペドロ・デ・サラーヘ作、ロス・ブリボーネスが当てた。 ▲ラ・エンラマーダ/ ラ・バンディーダ(女族)ことグラシエーラ・オルモス作、パンチョス版、ロス・トレス・アセス版ともども「55年ヒット集」に入っている。 ▲ゴロンドリーナ・ペルスミーダ/ 鳥をテーマにした曲を多く作ったので"鳥の作曲家"とあだ名されたトマス・メンデス(1926〜1955)作。ゴシップによれば彼は一羽とて鳥を飼ったことがないそうな。 ▲シン・ベントゥーラ/ ペドロ・デ・サラガ作。 ▲イヌーティル・エス・フィンヒール/ 長年にわたりSACMの要職を務めたカルロス・ゴメス・バレーラ作。 ▲ソンブラス/ オルランド・ブリート作パシージョ・コロンビアーノで、60年代にハビエル・ソリスがヒットさせたのとは同題異曲。次曲ともども前年度の巡演で憶えたのだろうか。 ▲アルマ・ジャネーラ/ ベネスエラ・カラカス市立音楽団をひきいていたペドロ・エリアス・グティエレスがサルスエラのために作ったベネスエラ第二の国歌とも言うべきホローポ。 ▲ノ・メ・ブエルバス・ア・ベールメ/ ナバーロ作 ▲マルカーダ/ 同 ▲ファシル/ 同 ▲ミス・ティニエブラス/ ヒル作 ▲ミ・ウニカ・ベルダード/ 同 ▲デ・フィエスタ/ フリート作 ▲イストリア・デ・アモール/ 同。さてこれが分からない、"ある恋"が先かこのウンのない恋"が先か。パンチョスは"ある恋"がそんなに当たるとは思っていなかっただろう ー事実名唱とはいい難い(違いますか?)ー から同じころに吹込んだとしても不思議ではない。あるいは"ある恋"が人気曲になったしまったので"パンチョス流恋物語"として対抗すべく録音。ー もうひとつの物語も同じ形で生きるだろう(同曲の詞の断章)−したのか。後年フリートが自身のトリオで録音した時にはオトラ(もうひとつの)・イストリア・デ・アモールと題されていたが、これは疑いもなく"ある恋"意識である。もっとも今断章を引用したばかりだがオトラ・イストリアということばはもともと詞の中に入っていたのだった。それはさておきこの曲はタンゴとして作られたように思えてならない。タンゴの乗りなのである。そして駄洒落もどきになるが、まことにウン(運)のない曲ではあった。日本では「禁じられた遊び」の題で知られるロマンセ・デ・アモールもメヒコではしばしばイストリア・デ・アモールと呼ばれるし、時代が進んで映画ゴット・ファーザーのテーマ曲ラブ・ストーリーもイストリア・デ・アモールと直訳された。だが面白いミスもあった。フレデイ・カロという楽団のLP中のウンつき恋の物語、ジャケットにどう書かれていたか試聴盤を見ただけなので分からないが、盤にはフリートの名がクレジットされていた…。(エンジェルHW_1062) この1955年にパンチョスはアグスティン・ララ(1900?〜1970)の作品を集中して録音する。レコーディングは54年の内から始まっていたかも知れない。 ▲ムヘール/ 31年作 ▲グラナダ/ 32年発表当時はスケールが大きすぎてかさほど当たらなかった。パンチョスはボレロにするなどいかにも彼ららしい。後年ヒルはレキント・ソロでも演じた。 ▲オラシオン・カリーベ/ 34年作 ▲ファロリート/ 35年作 ▲リバール/ 33年作 ▲マリンバ/ 34年 ▲マリア・ボニータ/ 47年作。女優マリア・フェリクスとのアカプルコへのハネムーンの想い出をつづったワルツ。前曲もそうだがマリンバが活躍する。 ▲ローサ/ 31年、ムヘールとともにラーラの名を高めた。形式名をカンシオン・クリオージャ(自国の歌)としているが、ボレロだけれどもキューバのではない、つまり我が国のボレロとの気概のあらわれであった。 ▲ピエンサ・エン・ミ/ 35年 ▲パルメーラ/ 33年 ▲アラーンカメ・ラ・ビーダ/ 34年、原曲はタンゴ。ラーラはタンゴも多く作っており、リベルタ・ラマルケが「ラーラのタンゴ集」というLPをだしているほどだ。 以上12曲、その曲数が示すように明らかに30センチLPを意識した録音である。事実そのとおり、DCA_7として世に出るのだが、これこそパンチョス初の30センチLPだった。そしてこの盤には面白いことがもうひとつある。薄汚れた写真で見ただけなので断言はできないのだがその初版ジャケットは女性のヌードなのである。もしやしたらタイツ姿なのかも知れない。ーメヒコがハダカにうるさい国なのは (La Historia7中ほど頁参照)ーのだが当時としたらまことに扇情的であったろう。もしもヌードであったらならメヒコ初のヌード・ジャケットである。話がそれてしまったが、ラーラがスペインに憧れていたことは周知のこと、彼は幻想のままにグラナダをつづったのだが、パンチョスはラーラよりも早くスペインを訪れることになるのだがその前に_。 メヒコ市の国立芸術院のわきから北へ向かうサン・ファン・レストラン通りにアステーカという気のおけないクラブがあり、ガブリエル・シリアという歌手がマリアチの伴奏で歌っていた。正確な日付は不明だが55年のロス・パンチョスの面々がアステーカを訪れたことがあり、シリアのレパートリーにラジート・デ・ルーナなどパンチョス・メロディがあるのを知って歌わせてみた。マリアチとパンチョス・メロディとは不釣合いのように思われようが、マリアチは本来ナンデモ屋なのである。シリアを聴いて一番心を動かされたのがフリートですぐさまコロンビアでテストが受けられるように手配してやった。数日後アステーカには音楽指揮者のフレッド・マクドナルドことフェルナンド・Z・マルドナードを伴ってコロンビアのディレクター −フェリーペ・バルデス・レアル(トゥ・ソロ・トゥの作者ー)が姿を見せた。テストの結果シリアは56年1月15日コロンビアの専属歌手にも迎えられた。彼こそボレロ・ランチェラの立役者になった、しかし絶頂寸前 ーあえてそういいたいー に他界したハビエル・ソリス(1931〜1966)である。ハビエル・ソリスという芸名の由来には多説あるが、彼を発掘したのがフリート・ロドリゲスであることは有名な話である。 55年12月彼らはスペインの首都マドリードにあった。パンチョスにとって初のヨーロッパ公演であった。思えばそれまで彼らはアメリカ州から外へ出たことはなく旧大陸に渡ることには一抹の不安もあったのだがクラブ「サーラ・フォントリア」での初日の成功で不安は消え、バルセローナ、マラガ、バンジャドリードなど都市はもとよりマジョルカ島、カナリア島にも渡った。それからスペインの隣国ポルトガルに入るのだが次の二曲は同地での録音だろう。 ▲リスボン・アンティグア/ジョゼ・ガリャルド詞、ラウル・ポルテーラ曲のファド。パンチョスは当然スペイン語詞だが彼らの作ではなく54年の歌本にも出ていた。 ▲フェリス・ポルトゥガル/ナバロ作続いてパンチョスはイタリアは飛び越してギリシャに入り、同地の作曲家タキス・マラキスを知り、その作品ティナフトーをはじめいくつかの曲をギリシャ語で録音した。もしかするとヒルとナバロは伴奏だけでフリート・ロドリゲスのソロだったかも知れないがこれらはギリシャ国内でしか出されない。このようなレコーディングがいくつもあるはずである。早い話59年の初来日の時の録音がそうだ。ルンバ・ハポネサーやセレナータ・デ・トーキョーなどに、ふれた外地のテキストは皆無である。ところでティナフトー(Historia_27)とは56年のアラン・ラッドとソフィア・ローレン主演の映画「島の女」のバックに流れたボーイ・ア・ドーフィンである。映画のために書き下ろされたのではなくプロデューサーか監督がたまたまギリシャ現地で聴いて一耳惚れしたことによるとは周知の事実である。パンチョスは二回の来日でヒルの詞で録音するのだがその解説に《パンチョスはアメリカで歌いそれをきいた映画製作者がソフィア・ローレンに映画中で歌わせてヒット…だから本命はパンチョス》とあるのは誇張があるにもせようなずける。もとになったのがフリート時代のパンチョスと想像するだけででも愉快ではないか。ギリシャから地中海を越えてレバノンへ。ヒルの父の出身国ということもあってのことかナバーロの作に ▲ノーチェ・デ・ベイルーがあり、およそなじみのない(そもそもベイルートってどこと訊かれて何人即答できよう)のに二度目の日本公演でも歌っていたが、この時の作かも知れないし、現地で録音したこともあり得る。その南隣のイスラエルにまで足を伸ばしてベイルートに戻り、ふたたびギリシャへ向かおうとした時に地中海の波は荒くなった。イスラエルの隣国はエジプト、そのナセル大統領が7月20日、それまでは事実上フランスのものだったスエズ運河のエジプト国有化を宣言したために英仏が反発し戦乱状態になっており、地中海に面した国々では正当な理由を持たず身柄の保証のない一般人の入出国が禁じられていたのである。その点フリートはプエルト・リコ人である。メヒコに居住していようともアメリカ人としてのパスポートを持っていた。それを利して彼はアテネに入り、同行している二人も仲間であって米軍空母上で開催される式典に列席する任務を帯びている(祝宴での出演契約でしかないのだが)と申し立ててビザの取得に成功したのだった。とにもかくにも彼らはギリシャを経由してスペインに入ると、ここで前例のない録音に入った。マリアチ伴奏で歌ったことはあるが今度はフル・オーケストラで歌おうというのである。ざっと10年前にパイロトーン社でやったことはあるがフリートには初体験である。この企画がどのようにして出されたのか分からないが、編曲と指揮を担当したのは今でこそスペインを代表する音楽家の一人になったが当時は駆け出しだったアウグスト・アルゲーロで、その作品も含まれている。 ▲カミーノ・ベルデ/カルメーロ・ラレア作 ▲フルータ・プロイビーダ/アウグスト・アルゲーロ作 ▲ローサ・デ・アブリール/同 ▲ラス・トレス・カラベーラス/同 ▲コラソン・アバンドナード/ヒル作 ▲マードレ・エス・オラシオン/ナバロー作それから彼らはニューヨークへ行きエンパイャー劇場のショウに出演したが、そこにはもう一組のトリオが出演していた。ジョニイ・アルビーノとトリオ・サン・ファンである。パンチョス四台目のトップ・ボイスとなるアルビーノとの初対面だった。いっぽうトリオ結成時に世話になったテリグ・トッシとも再会、彼の編曲指揮の楽団で録音する。 ▲シ・バス・ア・カラタジュー/バルベルデ作 ▲デスプレシアブレ/ヒル作 ▲カルメリータ/ヒル作 ▲マードレ・エスパーニャ/ナバロー作 ▲エス・メヒコ/同 ▲デリクエンテ/フリート作どう考えても不思議なラインアップである。神妙に母への愛を歌うかと思えば母なるスペイン(マードレ・エスパーナ)を讃えてみたり‘征服者スペインに十字を押し付けられようともインディオの祖国メヒコは’とエス・メヒコで歌ったり、コロンブスの偉業を歌ったり(ラス・トレス・カラベーラス)と四離滅裂である。しかしこれら十二曲はセレナーデというお門違いの題のLPに収められたのだった。いずれにもせよこれらはメヒコ以外の地での発売をもくろんでの意図であろう。メヒコでは出されなかったと思うのだがエス・メヒコはトリオ・カラベラス(a)が録音していてオルフェオンのごく初期のLP(少なくとも58年以前)に含まれていた(もっとも彼らはパンチョスが歌っていないナバーロの作品をほかにも録音したりもしているのだが)。なおエス・メヒコはずっと後年にマリア・デ・ルールデス(c)も吹き込みした。そしてこの時にニューヨークでアルバーロ・カリージョの出来たばかりの新作 ▲エソも録音した(伴奏楽団なし)というのだが、一曲だけというのは解せないし、当時メヒコで出されたとは思えない。メヒコで出されたのはマリア・ビクトリア版やカリージョと親交があったロス・テコリーネス版(b)である。この曲はカセレス時代に新旧オムニバスの「カリージョ曲集」として発売される(DCA−598)。米国盤(EX-5202/ES-1902)(CYS-1028) (DML-20566) (14)56年も後半に入っていた。パンチョスはキューバに渡った。キューバはアメリカ資本に牛耳られていた。まさに歓楽境で、カジノに向かう客のために機内にカジノ施設を備えた定期特別便が運行していたほどである。…14
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Trio Calaveras/ORFEON (a) | Los Tecolines/Peelines (b) | Los Mejor de Mario de Lourdes/RCA (c) | ||||
Es Mexico/Chucho Navarro | E so/Albaro Carrillo | Es Mexico/Chucho Navarro | ||||
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