19 Johnny Albino 1
やがてアビレスが去り、既にパンチョスを経験したことがあるジョニイ・アルビーノが参加するのだが、そのてんまつはひとまずおいて、ジョニイの生いたちから語るべきだろう。だが生地プエルト・リコでのアルビーノの音楽家史には特筆すべきことは殆んどない。ファン・アントニオ・アルビーノ・オルティスが彼のフルネームである。ジョニイはフアンの英国語名で、このことは彼がイングリッシュかぶれしていたわけではなく、ごく当り前に行われること、ファン・アントニオというふたつ重ねの名前よりも子供の時からジョニイと通称されていたのだろう。1917(大正6)12月19日Yáucoの生まれである。aにわざわざアセント(アクセント)の印がついているので確認したわけではないがヤウコ、ジャウコではなくイアウコと発音するのだろう。もともとプエルト・リコ第二の都会、南海岸のポンセの西30キロ弱ほどのこの町はジョニイの記憶の中にはまったくないはずだ。厳格な警察官だった父ホセ・マリアの転勤にともない、ジョニイが二歳の時に一家は今度はポンセの東へずっと離れたグアジャーモに移ってしまったからである。学校教育もグアジャーモで受けた。

父親は音楽には全然興味がなかったがジョニイは歌好き、小学校の頃からのど自慢の常連だった。音楽好きなのは母方の血筋だろうと彼はいう。母方の叔父がプロではなかったがクワトロを弾いていて「やってみな」といわんばかりにそれを置きっぱなしにしておくものだからジョニイ坊やはクワトロを、やがてはギターやピアノまで自己流で覚えてしまったのである。(こんなわけでアルビーノのギターの腕前は評価の対象外である)。高校生時代に自校のコンフント、シボネイ、カリビアン・キッス楽団など地元のヤング・バンドで近隣の町村(ちなみにグアジャーモの人口は2万人ぐらい)で歌っていたが、ポンセの放送局に出たこともあった。プエルト・リコの就学方式については知識がないが、1937年に高校を卒業すると法律を学ぶべくプエルト・リコ大学に進んだが、どうやら聴講生だったらしい。いずれにもせよ勉強などはそっちのけで、クラブ・バーに入りびたり歌ってばかりの毎夜だった。出演料は破格である。無料か、多くの場合歌わせていただき料を払わねばならなかった。つまりカラオケクラブのようなものである。
第二次世界大戦が火を噴いていた。1940年にアルビーノは学業をすててプエルト・リコ駐在の米軍に入隊する。彼の場合は徴用ではなく、志願であったように思う。まず工兵隊に配属されバージニア・テクサスとめぐる過程で英語を身につけた。音楽と手を切ったわけではない。
舞台のバンドで歌ったり、クワルテートう組んだりもしたが、やがて通信班にまわされ、パナマに転進した。通信班に配属されたのは軍の給付舎でおそらく彼の希望だったのだろう電気工学を学んでいたためだろう。
パナマでラジオ・オペレータをしていた期日、アルビーノの耳に今まで耳にしたことのないサウンドが飛び込んで来た。トリオの歌声である。トリオの歌は今までいくらでも聴いたが、そのどれとも違う新鮮さ。カーデナス・デ・アメリカスのビーバ・アメリカ。この時アルビーノはトリオ・ロス・パンチョスというグループの名を初めて知った。やがて自分もパンチョになると夢想もせずに...。
アルビーノは放送を通じてパナマで初めてパンチョスを知った__この話は彼とパンチョスを結ぶ伝説じみているようでもあるがいくつかの資料に語られていることである。逆にオルティス・ラモスはこのことにひとことも触れていない。彼によれば、40年入隊の年のうちにパナマへ転属、それからバージニアやテクサスに移動したことになっているから、そもそもパンチョス自体が存在していないのである。実話であるなのなら__そう信じたい。ロマンがあるから__46年に除隊する寸前ということになる。

除隊したアルビーノはプエルト・リコには帰らずニューヨークに住み、なんとスピーディなことか妻を迎えて46年の暮れにラジオの修理を主とした電気店を開き、レコードも販売した。だが歌いたいという欲望が日増しに強くなり、とうとうアナウンサーをしていたホセ・ラモン・オルティスをセカンド・ヴォイスとセカンド・ギターにハイメ・ゴンサーレスをトップ・ギター(彼は歌わない)トリオを結成した。ジョニイ・アルビーノとトリオ・サン・ファンである。もちろんアルビーノがトップ・ボイス(とサード・ギター)だ。というよりも、これは彼を "お山の大将" とする殆ど道楽トリオであったろう。自分の名を堂々と表にだしてはいても彼には実積がまったくないのだ。あとの二人にしても近隣の友人に過ぎなかったはずだ。

練習の場もアルビーノの店だった。結成の日は、何をもって結成の日とするのかは分からないが1948年6月24日である。この日付けには間違いない。アルビーノ自身が証言している《トリオの名前のサン・ファンはトリオ結成の日が(サン)・ファンの日だったからだ。プエルト・リコの首府()からとったのではない》カトリック教ではその日 ― にその一日を護る守護聖者(パトロン)が定められており、例えば12月17日はサン・ロサの日()、1月元旦ともなれば御一人だけでなくトード・ロス・サントス(全聖人)が護ってくださる。そしてカトリックの帰依者の名は誕生日のパトロンの名をとることが多いのだがアルビーノの名が12月19日のパトロン(聖ダリオ)によらなかったのは何故だろう、もとに戻って6月24日は正確にはサン・ファンバウティスタ(洗礼のヨハネ)の日である。キリストに洗礼を授け、サロメのねたみによって首をはねられたヨハネの誕生日とされている。

そしてこのトリオの名は"ジョニイ・アルビーノとそのトリオ・サン・ファン゛であるとことを強くいっておかねばならない。(以降は"ジョニイ・アルビーノと"を省略するが、あくまでアルビーノが主人公 ーー先に"お山の大将"といった―ーなのである。このことは1969年に来日した時、「トリオ・サン・ファンの現況は、問う私への彼の返答が明白にしている、「トリオ・サン・ファンは存在しない。私が辞めた時点で消滅した」。実はあとに名が出てくる人たちによるトリオ・サン・ファンがあったのだが、アルビーノはそれらをトリオ・サン・ファンと認めていないわけだし後年に作った自身のトリオにもサン・ファンの名をつけることがなかった。

46年の内にトリオ・サン・ファンはベルネ・レコードに録音する。ベルネはプエルト・リコ人のフリオ・クエバスがサン・ファンで作ったレーベル(ニューヨークでも販売、社もある)で、トリオ・サン・ファンはその看板であり、アルビーノ在団中は他社に移ることもなかった。もっともベルネはニューヨークではスパニッシュ・ピープルだけをターゲットに、そしてプエルト・リコでの発売を目的にした会社で、シーコやアンソニアよりもマイナーだったはずだ。
初練習は
アキー・マンド・ジョ、
ペペ・エル・バーゴ、
コンテスタシオン・ア・コンプレンシオン、
コンテスタシオン・ア・シエテ・ベーソス
の四曲だというが、コンテスタシオン・ア・−(2)の二曲をコンシエルト・マトゥティーノ、ディミデスとしてある資料もある。
ギターのハイメ・ゴンサーレスは48年が終わらない内に健康上の理由から退団し、ポンピーリオ・リベーラが入ったが、彼もすぐに辞めてしまい、通称のオーラ(4)で知られるフェリクス・マルティネスが加入した。その親レオニーデス・マルティネスもトレスとクワトロの奏者だったから彼も自然とそれら、ことにトレスを身につけた。
大人たちに混じってショウに出て喝采を浴びたが、そのような時は椅子の上に立って演奏した。そうしないと彼の妙技が客に見えないからである。トリオ・サン・ファンに参加した時点でマルティネスはトレスをレキントに替えたが、それはサン・ファンを決定的にイメージ・アップした。48年末といえば、パンチョス印レキントがギター奏者の間では知られていた。パンチョスがメヒコに凱戦した時であることも忘れないでほしい。マルティネスもヒルと同じようにピックを使用したが、確認したわけではないけれど、それはサム・ピックではなく、二本の指ではさみ持つタイプだったはずである。そして最大の特徴は鉄線弦を用いたことだった。つまりトレスのありようをそのままレキントに適用したのだ。
こうして、イントロを耳にするだけでトリオ・サン・ファンと分かるサウンドが生まれたのである。

(La Historia 次回_20) 1949年になった。ラモン・オルティスは本業(アナウンサー)が忙しく、とてもスケジュールをこなせなくなったので身を退き、交替にマルティネスの紹介でポンセ生まれのチャゴ(サンティアゴ)・アルバラードが加入したが、彼のセカンド・ボイスでトリオ・サン・ファンは完璧なものになった。
この顔ぶれでの最初の録音はノ・ポドレー・オルビダールテとイポクレシアだった。アルバラードは作曲家としても才人で、アルビーノ在団時の録音の内...。
)キューバの黒人密教サンテリア(ハイチでいうヴードゥー)ではババルー・アエの大祭日なので、ババルーと聖ラサロは同一人視されている。ミスター・ババルーとまで呼ばれるほどマルガリータ・レコーナ作ババルーを得意にしていたミゲリート・バルデスが「これがババルーだよ」と見せてくれたのはサン・ラサロの絵姿だった。ラサロはもちろん男性、だがババルーは女神、駄洒落めくがものすごい婆神である。

2)コンスタシオンは返答ということで、すでにヒットしている曲に対する答辞歌。「海と空への答辞」なるものをみたことがあるが歌い出しに "君は私を持っている、がそれになんの価値があろう" が "私は君を持っている、がそれになんの価値があろう" と詠み変えられている。このように元の詞とメロデイを生かして答辞にするのだ(本文の曲ではコンプレンシオンとシエテ・ベーソスが元歌)。一種のお遊びで聴く側が元歌とその詞を知らなくては意味がないから表立って録音されることは殆んどない。ビルヒニア・ロペスがその初期にコンスタシオン・ア・キエン・セラを録音した程度である。(A;Quien sera、Virginia Lopez.indexに音源あり)

3)サン・ファン。名づけたのはクリストバル・コロン(コロンブス)、彼もサン・ファン・バウティスタと名ずけたが、それは島全体のことだった。この島に着いた彼がプエルト・リコ!(豊な港湾)とその風光を賞でたのが島(国)の名の由来とされる。原住民はこの島をボリンケンと呼び、それはプエルト・リコの雅称として今に伝わる。

4)この愛称の由来は分からない。フェリクスの愛称がオーラ(フランシスコ → パンチョのように)なのかも知れないが寡聞にして他例を見ない。後に出てくるサンティアゴ → チャゴはティアゴが日本のなんとかチャンとどことなく同じで広く使われる愛称。
2)海と空への答辞歌
Alfredo Gil は海と空への返答(Cotestacion A  Mar y Cielo)という詞を書いています。これは結局吹き込まれたことはなかったらしいのですが興味深いので並べて掲載しておきましょう。
メロデイは「海と空」のままです。谷川 越二 さん サイン
MAR Y CIELO  作詞・作曲 Julito Rodriguez Reyes
Me tienes,
pero de nada te vale,
Soy tuyo
porque lo dicta un papel,
Mi vida
la controlan las leyes
pero en mi corazón
que es el que siente amor
tan solo mando yo,
El mar y el cielo
se ven igual de azules
y en la distancia
parece que se unen
Mejor es que recuerdes
que el cielo siempre es cielo
que nunca nunca nunca
el mar lo alcanzrá,
Permíteme igualarme con el cielo
que a ti te corresponde ser elmar.
君は私を待っている、しかし
それは君にとって何の価値もないことだ
私は君のもの
書類には、そう書かれているからね。
私の命よ、法律は私の人生を統制する
しかし、私の心の中では
愛を感じるもののみが私を支配するのだ
海と空、それは同じように青く見えるし
遠くの方では一しょになっているようだ
けれど、わきまえておくがいい
空はあくまで空であって
海に届くことは決して無いことを。
私を空だと思って許してほしい
海になって、君に報いようとしたのだが
CONTESTACION A MAR Y CIELO 作詞 Alfredo Gil
Te tengo
pero de nada me vale,
no es vida
la que llevamos tú y yo
Olvido
que te obligan las leyes
porque mi corazón
que te brindó mi amor
no te guarda rencor,
Yo no te obligo
que sigas a mi lado
sólo le pido
a Dios resignación,
Igual que te comparas
con el azul del cielo
no debes olvidarte
lo inmenso que es el mar,
Así es el gran cariño que te tengo
que nunca nunca nunca morirá.
私は君を待っている、しかし
それは私にとって何の価値もないことだ
君と私が過ごしてきたものは
人生ではない。
法律が君に押しつけたことなど
私は忘れているよ、何故なら、恋人よ、
君を祝福した私の心は
君に恨みなど持っていないからさ。
ずっと私のそばにいてくれなどと
君に強制したりはしない
ただ、神様に、
あきらめを願うだけのことだ。
君は空の青さにたとえていったけれど
忘れてはいけない、海の宏大なことを、
これが君にたいして抱いている
私の決して消えることのない
大きな愛情なのだ。
Virginia Lopez/Julita Ross Virginia Lopez Contestacion a; Quien Sera2)
Virginia Lopez /
                Julita Ross
Debate Musical_
Esto  Es Tremndo
TROPICAL
               TRLP 4623

5.Contestacion                       A; Quien Sera
Virginia Lopez

TROPICAL   TRLP 4623 5.Virginia Lopez  Contestacion A; Quien Sera
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