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それからブエノス・アイレスに戻ると次の曲目を録音した。 ●イ・ノ・メ・デヘス・コラソン / バンドネオン奏者で自身の楽団をひきい“タンゴのエース”とうたわれたエクトル・バレーラの作。彼の名しかクレジットされていないが、詞は別の人によるものかも知れない。 ●キエン・ティエネ・トゥ・アモール / レオポルド・ディアス・ベレス作タンゴ。 ●ラ・イエドラ / 59年12月パンチョス初来日直前にコロンビアが発売したLP(YL_146)の巻頭に置かれて強烈な衝撃を与えた曲だが、ラテンのオリジナルではない。もっともカンツォーネなのだから (a)L' edera/Los Tres Diamantes ところがこの曲自体は60年のメヒコでかなり当たったらしい。パンチョスのは60年のヒット集めたコロンビアのオムニバスLPにも入っていたし、スペイン出身だが幼少の頃からメヒコに住み、コロンビアが売り出していたエルビーラ・キンターナ、人気急上昇中のハビエル・ソリスも録音した。いずれもパンチョスと同じ詞だがビクターのエルマノス・レジェスはデ・ジャーノの詞によっていた。(訳詞だから大同小異)。さらにビクターはたまたまメヒコを訪れたロック・グループ(当時としては珍しい ーナウいー サウンドだった)ザ・クローバー・ボーイズにも歌わせた。(b)怪しげなスペイン語と英語だったがモラールのだったかデ・ジャーノのであったか記憶にない。 ●デサンダンド / サンティアゴ・アルバラード作、アルビーノの持ち込み曲。 ●デセスペラダメンテ / この題の曲では40年にガブリエル・ルイスが作ったボレロ(詞はリカルド・ロペス・メンデス)が名高く、パンチョスも後年イーディ・ゴーメと共演するがこちらはL・ミレーナとA・テスタ作で原題ディスペラタメンテ、スペイン語詞 M・クラベルとあるから、もとはカンツォーネだろう。 ●ア・ドンデ・ボイ / ヒル作 ●クルエル・フィロソフィア / ナバーロ作 ●アルヘンティーナ / 同。(Argentina) この曲が収められた日本コロンビアのLPでは解説の半分に及ぶ行数を費やして絶讃しているがアルヘンティーナではSPは知らずLP化されたことはなく、ましてやメヒコでは完全に無視された。 ●ボス・デ・ローボ / 同、ウアパンゴ。これもメヒコでは出なかった(日本でも)。名の知れた曲ならともかく、パンチョスのウアパンゴを聴こうなどとするメヒカーノはいない。 次の2曲もこの時の録音だろう。 ●デ・ロディージャ / フランシスコ・レデスマとピノーチョ作。ピノーチョ(ピノキオ)というとアルヘンティーナの人気コメディアンが想い出されるのだが…。 ●ラーソス・デ・アモール / ヒル作 これらのレコーディングはすぐさまメヒコに届けられた。レコードが出されたはずだが、はっきり分かるのはラ・イエドラとデサンダンドのシングルとDCA_92(c)だけである。それらを耳にしたメヒコ人たちが受けた衝撃はとてつもないものだったろう。パンチョスの面々にしてもこの新メンバーによるパホーマンスがメヒコで受け入れられるかどうか案じていたに違いない。59年夏、パンチョスは長い不在のあと、メヒコへ帰って来た。心配はすぐに消えた。コロンビアは大歓迎会を開き、それにはアグスティン・ラーラをはじめトップ・スターたちが出席した。パンチョスの新しい歴史が華々しく始まったのである。 なんと久しぶりの録音スタジオだろう、そしてアルビーノにとっては初めてである。 8月29日に次の四曲を録音する。このあたりからステレオだが日本盤はモノラルだった。 ●シグロ・ベィンテ / マリオ・ロペス・ウガルテ作。およそパンチョスらしからぬ愛でも恋でもないペシミズムに溢れた曲で、映画かなにかの曲だったのかも知れない。映画といえば、この年彼らはビーバ・ハリスコ・ケ・エス・ミ・ティエラという作品に出て、およそハリスコ州とは結びつかないのだがシエテ・ノータス・デ・アモールを歌った。これでオムニバスのDCA_144(同題)に彼らのこの曲が入っているのも合点がゆく。記録に見ただけでサウンド・トラックかどうかも分からないが、トリオ・アメリカやトリオ・ロス・メヒカーノスも名を連ねていた。 ●ラ・プエルタ・デ・トゥ・カーサ / エクトル・エルナンデス作。作者の両親はプエルト・リコ人だが、キューバで生活していた時に生まれたのでキューバ人として登記されたらしい。もっともごく若い時から彼はニューヨークに住んだのだが。 ●エル・アルブン・デ・ミ・ビーダ / 同。なお彼の作品からパンチョスは後年フエゴ・バーホ・トゥ・ピエルを歌っている。 ●メ・ケデー・ドルミード / ナバーロ作。 11月25日に ●アクエールダテ・デ・ミ / ホセ・アンヘル・エスピノーサ作。 ●アスタ・シエンプレ・アモール / ウルグアイのタンゴ楽団指揮者ドナート・ラシアティ曲、フェデリコ・シルバ詞。ラシアティはポピュラー曲までタンゴに編んで人気があったから、いかにも流行歌的なこのひとふしはもともとボレロを意識して書かれたかも。60年代の日本のタンゴ歌手でレパートリーにする人が多かった(Hasta siempre amor/Yoichi Sugawara) のも難しいタンゴぶしに較べて易しいし人好きする ーつまり流行歌的であるー からだろう。だが当時のタンゴ喫茶(今でいうライブ・ハウス。コーヒー一杯でナマの演奏が聴けた。実演 ―当時はそう呼んでいた― つきなのに、通常の店と料金はほとんど同じか、高くても50円ぐらいだった)のMCが必ず “パンチョスも歌ったヒット曲” といっていたのを想いだす。もちろんファン・ダリエンソなど名だたるタンゴ楽団も演じていたのだが。 ★エスタ・ノーチェ・ジョ・メ・ムエーロ / ヒル作 ★ビーベ・ディオス / ナバーロ作。神はいます、神はいますとの連呼で始まるこの曲は神はアラーではなくましてやアステーカ神話のオメテーオトルではなく、教会で神父の説教を聞くかのようだ。エル・ブーロ・ソカロンを作ったりユーモラスな印象を与える一面このような曲もこしらえるナバーロという人の人物像を研究するのも重要な作業だが、私には荷が重すぎる。彼にこの曲を作らせるような大事でもあったのかと調べてみたけれどもそれらしいこともない。ひとつ思いついたのはフェルスキージャことホセ・アンヘル・エスピノーサの作品だ。パンチョスも録音したエーチャメ・ア・ミ・ラ・クルパに続いてこの頃にはエル・リブロ・デ・ロス・ディオセス(神々の書、ロス・トレス・レジェスが録音も出来ていたはず、そのいずれも実らぬ恋の恨みぶしだがあの世や神がからんでいる。そしてこの翌日には自作のアモール・デ・マルディシオン(呪詛の恋)を録音するのだが、これがよこしまな恋で詞の中に十字架も出てくる。この二曲を組み合わせるとひとつにまとまるのではないか。それにしてもよくぞと思う内容で、やはりパンチョスには恋を歌ってもらいたい。 ★ビーダ・ミア / 卓抜したバンドネオン奏者で優美なスタイルで知られる自身の楽団をひきいたオスバルド・フレセード(1892〜1984)が40年代に作ったタンゴで、詞は兄のエミリオ・フレセードが書いた。美しい曲だがよくぞ堀りおこしてくれたもの、この時代のメヒコはルーチョ・ガティーカの初期の録音しかなかっと思う。 ★ジャーマメ・アモール・ミオ / モペーラと A・メノッティ作の、こちらは出来たてのタンゴ。もっともブエノス・アイレスではおよそ当たらなかった。 ★ブーラ / ヒル作。 ★アモール・デ・マルディシオン / ナバーロ作、今いったばかり。 アルビーノが参画してのちの以上の録音はメヒコでもアルヘンティーナでも日本でもLPが登場するのだが、それぞれに内容が違っていた。 このメヒコ滞在期間に彼らは「ビーバ・ハリスコ・ケ・エス・ミ・ティエラ」というパンチョスとはおよそ似つかわしくないタイトルの映画に出演した。なるほど8月から11月まで録音の間がかなり空いているし、映画のクランクイン(撮影開始)は9月28日だったそうだから計算が合う。もっとも出演といっても一曲歌うだけだろうから一日あればすんでしまうのだが...。その曲がなんとシエテ・ノータス・デ・アモールというのだからどんな作品なのか想像もつかない。映画が封切られたのは61年3月だがそれに合わせて同題のレコードDCA_144も発売された。サウンド・トラックなのか映画に使用された曲を集めたのかすぐに廃盤になってしまったので確かめようがないのだが、そこにシエテ・ノータス・デ・アモールが入っていたのは事実である。ほかにLPには前にもふれたがトリオ・メヒカーノス、トリオ・アメリカ、マリアッチ・ハリスコも名をつらねていた。 |
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La Historia_24 1959年12月、遂にパンチョスは極東日本を訪れることになる。そのパースネルが公表されたのは、来日のひと月ほど前でしかなかった。新メンバーによるレコードYL_148トリオ・ロス・パンチョス・ハイライトが発売されたのは11月だが、解説執筆者に原稿依頼されたのは当然それ以前、緊急にしても9月末、だからジャケットにはアビレスのことはまったく触れられていないので“新メンバーによる最新の編成と思われます”とあるだけである。このことについて・・・ |
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(a)イタリア・ビクターでの録音のためにメヒコでは発売されず、日本ではEPで出された。 | |||
(b)このレコードは日本でも発売された。それもビクターラテン愛好会シリーズと銘打っての一群の初回発売である。 | |||
(c)アメリカ盤はEX5008。60年12月新譜だからほぼ同じ内容のLPが日本で出されて一年もあとということになる。DCA_92はもっと前の発売 (My Disco参) | |||
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