谷川 越二さん より 新しく「TRIO LOS MORUNOS」届きました。 | ||||||||||||||||||||
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「TRIO LOS MORUNOS」 | ||||||||||||||||||||
Trio Los Morunosを知るためにはカナダの ―レストランが店内発売用に作ったLP“LOS MORUNOS IN CANADA”のライナー・ノーツ(英西語)が良い仲介となる。すなわち《ロス・モルーノスは、1974年6月_カナダの初契約ちゅう、レコーディングした。彼らはラテンアメリカ風の新しいレストランLA CASA MENDOZA(メンドーサの家)で活動するため訪カナダしたのである。彼らは十五年間にわたりトリオを組んで活動してきた自国ペルーのリマから直接飛んできた。最近のことであるが彼らはリマのエル・コンティネンタル・スール地区にある有名なレストラン「エル・タンボ・デ・オーロ」での四年間も続いた大当たりショウの契約を打ち切った。 | ||||||||||||||||||||
ロス・モルーノスはレコードの録音量も多く、それらをつうじてラテンアメリカ音楽を各地に広めているが、彼らの最新のヒットLPはリマで録音された「ロス・モルーノス、トリオ・ロス・パンチョスの黄金時代を歌う」である》 上引用文に“十五年間トリオを継続”とある。ロス・モルーノスの誕生はこのLP誕生時から計算すれば1974−15=1959、つまり1959年ごろ、ロス・パンチョスが初めて日本の土地を踏んだ年である。 モルーノとはモーロ人のことでいろいろに解釈されるが主として8〜15世紀にイベリア半島を支配していたイスラム教徒のこと、(そしてボレロ・モレーノのモレーノともなるとまた意味が違ってくる)、こんな名を名乗ったことから彼らのレパートリーに目したのはペルーの(南米)いわゆるフォルクローレ系の曲ではなく、都会音楽であったと考えられる。フォルクローレにしても都会的に処理されたものやバルスだ。 |
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都会のレパートリーと言ったら、何をおいてもボレロ。コーラス・グループのボレロといったらトリオによるボレロ、ボレロ・トリオは何をさておきロス・パンチョス。モルーノスもトリオの完成形をロス・パンチョスの中に見出し、彼らを追従・演奏するうち、彼らの歌うパンチョス・ナンバーが広く知られ、人気を持つようになった。 ロス・モルーノスの名が外国に知られるようになったのは1991年にプエルト・リコのパブロ・マルシアル・オルティス・ラモスが上梓した「ア・トレス・ボーセス・イ・ギターラス」の349頁の記述であるが、同書には日本語訳版もあるので、ロス・パンチョスの最終トップ歌手ラファエル・バスルト夫人セリーナ・フェルナンデスが2005年に著した「ロス・パンチョス」99ページを訳出しよう。内容は同じだ。 《1976年7月のあいだ、ロス・パンチョスはペルーとコロンビアに契約していた。ペルーに到着した時、オビーディオ(・エルナンデス)は身体の具合が変なのに気がつき、彼らの活動はロス・パンチョス・スタイルを追求することで知られるペルーのトリオ・ロス・モルーノスのプリメーラ・ボス、マヌエル・オルチスが代演した。マヌエル・オルティスのためには忘れられぬ経験であり、ロス・パンチョスには好運だった。その後コロンビアに移動した時、オビーディオの病状は悪化し、メヒコに移送され(以下、後分略)》 |
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ロス・モルーノスがパンチョス・ナンバーをLP録音したのは始めの引用文から1974年以前と分かる。それはペルーのAudioton 1088 EPOCA DE ORO de Los Panchos cantan Los Morunosだ。左の文字のサイズは盤にあるがままで、ロス・モルーノスの字のサイズは一番小さい。エポカ・デ・オーロ(黄金時代)と銘打ったレコードはいくらでもある。中には“どこが黄金時代だ”と頭に来るのもあるのだが、この盤はちよっと珍しい。 世の中LPレコードが25センチ(10インチ)から30センチ(12インチ)に移行しつつあった1957年ごろ、メヒコCB(コロンビア)は「エポカ・デ・オーロ トリオ・ロス・パンチョス」という盤を出した。(DCA-25)。ヌエストロ・アモール/シン・ティ/コンティーゴ/ノ・メ・キエーラス・タント/ロス・ドス/カミネモス/ラジート・デ・ルーナ/ノ・トラータス・デ・メンティール/アモール・シート・コラソン/ウン・シグロ・デ・アウセンシア/ウナ・コーパ・マス/シン・ウン・アモールとエ・ルナンド・アビレス時代に築きあげた、いわゆるパンチョス・メロディのオン・パレードである。(この盤は発売以降かなり長期年月にわたってメヒコCBSの月毎レコード売り上げランキングLPの部上位に入り続けている。)レコード会社の意向か、ロス・モルーノス側の意向か、ロス・モルーノスはこの曲順のまま録音した。それが先述のアルバムである。 DCA-25には続編があった。DCA-26 Epoca de Oro Vol_Uである。もともと二枚一組のねらいだったのだ。ノ・ノ・イ・ノ/フロール・デ・アサーレア/ナーダ/ミセーリア/ジャ・エス・ムイ・タルデ/メ・カスティーガ・ディオス/ディレーマ/レティラーダ/メ・ボイ・パル・プエブロ/ウナ・ボス/テ・フイステ/ソーロ これもロス・モルーノスは録音したか。答はシ(イエス)。けれども私は実音は耳にしていない。アルバムの存在をしるだけだ。メヒコにREX(レクス)という中堅レコード会社があった。この社から次のLPが出されていた。 R-497 EPOCA DE ORO DE LOS PANCHOS R-521 同 VOL 2 ジャケット・デザインこそ大幅に違っているが、ロス・モルーノスのレコードである。同名他者?曲目の一致からあり得ない。モルーノスのメヒコ録音?まさか。 これらレクスのロス・モルーノス盤はいずれもペルー盤の買い取り発売と推定できる。これだけ曲目も演奏する人も同じなれば。“盤の存在は分かっている。それなのにその盤の音は聴いていない” と言うことは “広告やらカタログ見た”ことの裏書である。私とロス・モルーノスの関係はレコード・カタログ、それもペルー盤ではなく、メヒコのレクス・レコード1972年版である。それは各ぺージに10種のLPをジャケット写真入りで紹介し、その下に《Catalogo discos rex,S,G》 更にその下に《Mexico72》つまりレクス・レコードの72年版総カタログである。〔註〕レクスの名は常にrexと小文字 メヒコのこの種カタログは前年度のクリスマス・シーズンまでに出されるから、73年版と題していても72年10月ぐらいまでのレコードだけが列記されている。このことは他社も同じ。以上を踏まえて考えると、ロス・モルーノスのレコードは3頁には “1974以前と” としたが、もっと古く “1972年以前” と考えてよいだろう。 さてパンチョスである。オビーディオ・エルナンデスをトップボイス彼らは南米ペルーへ飛んで来たのだが当のエルナンデスが倒れてしまった。ヒルもナバーロもロス・モルーノスのことは知っていたし、ステージも接していたろう。こうしてマヌエルはオビーディオの代役をみごとにやってのけた、と言う。 (Rare Concert Trio Los Panchos Manuel Ortiz in Lima Peru) その後、あるいは結成時点のモルーノスについては不祥である。 以上 谷川 越二 |
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