5 Un Panchos Debuta
                                                      (青色文字私の書き込み)
いよいよトリオ・ロス・パンチョスの旗揚げである。人前で歌って収入を得ないことにははなしにならない。
彼らのデビューにはふたつの説がある。ひとつはテアトロ・イスパーノ出演、ひとつは1944(昭和19)年といえば第二次世界大戦の末期近くで前線からの送還傷病者慰問.劇場のほうは彼らの練習を見聞きしたテアトロ・イスパーノの興業主ムンディート・メディーナが同劇場に出演させたのだが、メディーナは彼らの慰問訪問先の病院で聞いたのではないだろうか。出演料は週に225ドル,初日は5月14日とにかくこれが入場料をいただく場への初の公演だからパンチョスの誕生日といつてよいかも知れない。その前々日の12日に連合軍がイタリアに総攻撃を開始し、6月4日にローマを開放した。
だが創世記のパンチョスはあまり長く続かなかった。メヒコは参戦こそしなかったが連合軍側であり、米軍に入隊するメヒコ人も少なかったがヒルもその一人だった。だが戦況は今いったとうりなのだから、ひとつ軍服も着てみようかといった程度のものらしく「エル・チーコ」などにも出入りもしていた。そのような所に入る時にも兵士である以上は軍服を着用せねばならなかったはずでましてや出演などご法度だからナバーロとアビレスはエキストラのギター奏者をいれて営業を続けていた。そのようなエキストラのギタリストにはベサメ・モレニータなどを作ったコロンビアのアルバーロ・ダロマールもいた。ダルマールは後述するSMCの音楽ディレクターを務めた。
ヒルが入隊したのは1945年だが、イタリアに続いて5月7日にドイツも無条件降伏し.ニューヨークは大変なお祭り騒ぎになっていた。極東を除き東側の戦乱は集結したわけである。国外へ出るのを控えていたクーバのトリオ・マタモロスが6月21日にメヒコへ行ったのもそのひとつの現われだろう(この時のマタモロスはトリオではなくコンフントを称していて、その一員にキューバを代表する歌手に成長するベニイ・モレーがいた)。
ヒルが私たちには忘れられない8月15日まで軍籍にあったかどうか.とにかく彼はマサチューセッツ州フォート・デヴィスのキャンプ地からのトリオの元へ帰って来た。
La Primera Grabación
1945年パンチョスはコーダ・レコードで初録音を行う。実はコーダや後述するシーコへのレコーディングよりもパイロトーンへの吹込みが先ではないかというのがアブルーニャ・ロドリゲスだ。彼女はコーダ・シーコにはふれず〔(コロンビアのでの初録音というのには疑問がないでもない。ヒル自身が初吹き込みはパイロトーンへのアルフレード・アントニオーニ楽団とのデスデ・ケ・テ・フイステとラ・パルマだと語ったことがあるからだ)〕と書いている。ただしそれが本文ではなく小文字の特記であるのは筆者も自信が持てなかったかも知れない。このレコーディングについてはあとにゆずろう。
コーダへの録音は45(昭和20)年以降ではなくてはならない。そもそもコーダ・レコードが誕生したのが45年なのだから。社主はプエルト・リコ系のガブリエル・オリェールである。ゲーブことガブリエルは19世紀末にスペインからプエルト・リコへ移住した同名の人を父として、1903年10月12日サントゥルセに生まれた(だから彼は正確にはガブリエル・オリェール・ジュニアである)。第一次世界大戦勃発(14年)の少しあと一家はニューヨークに渡り、彼は電気工学を学んだ。30年に兄ビセンテとイースト・ハーレムにタタイス・スパニシュ・センターという店を開き、ビクター・レコード、自動ピアノのシート、ギターとその弦など付属品を販売した。その店では1レスン50セレントのギター・レッスンもしたが、こちらは兄のビセンテ・タタイのやくだった(タタイは母方の性か)。当時レコードだけを扱う店はなくて、註1なんらかの商店が(今でいうならコンビニが週刊誌を扱っているのに似て)レコードも売っていたのだが、この店は28年に開業したアルマセネス・エルナンデスに次ぐスパニシュ・ハーレムのレコードを販売する店の第2号だった。1号店もアルマセン(百貨店)とはいうものの商品は2号店と大同小異、ただギター・レッスンではなく店主の妹がピアノのレッスンをした。店主の名はラファエル・エルナンデス。
オリエールは34年にダイナソニック(ディナソニック)・レコードを興した・学んだ電気工学を役立て、録音から盤の製作までやってのけたのである。後年のSMCレコードのミキシングやレコーディングも彼がやっているのだがその歴史はこの時店の裏側に作った録音室で始まる。“動力音響”と名前は大きいがアセテート盤である。アセテート盤とは金属の円盤にアセテートをコーティングしたものに音を刻みこむもので、ハイファイ音など望むべくもなく、量産も出来ない。試聴盤に使われたし、稽古ごとにも重宝だった。ノロ・モラーレスとかジョニイ・ロペスといったイースト・ハーレムのアーティストがさかんに録音したが、それはいま試聴盤の例をひいたように大手のレコード会社への売りこみに使うためだった。
註1.
29年10月の株式大暴落のあおりもあるが同年末にレコードだけを販売する店はアメリカ全土に38店しかなかったという。
タイソニック・レコードは1941年まで続いた。もうアセテート盤の時代ではなく、オリエールも本格的なレコードを作り始めたのだが、第2次世界大戦に伴う物資不足で大手のレコード会社でも困っていたのである。古レコードが新しい盤を作るために溶解され、キャムデンのビクターの工場は戦時物資生産のため海軍に接収された。風船爆弾を大きな劇場でこしらえた日本を笑えないがビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス(42年5月29日録音)」が発売すぐに大ヒットしたのだからアメリカとは不思議な国だ(?)。
オリエールは1945年にコーダ・レコードを立ち上げる。実際に設立したのは前年の内だろうが初録音はこの年1月16日、プエルト・リコのピアノ奏者ノロ・モラーレスのセステートによって成された。この当時のコーダ・レコードがどこにあったのかは不明(分かるのはニューヨーク市19とだけ)だが、47年には発展的に解消してスパニッシュ・ミユージック・センター(タ’タ’イ’の’にはつかない)になる。そこで興味深いのはコーダからパンチョスを含む6種の25センチLPが発売され、そこに「コーダ・レコード社製造ニューヨーク・シティ19」とあることだ。つまりSMC(スパニシュ・ミュージック・センター)発足前の発売と考えなくてはならない。すると初のLPが開発元のコロンビアから48年に発売される以前ということになり謎めいてくる。なおコーダの6種のLP(初録音の)ノロ・モラーレスのも含まれる)の内パンチョス盤だけがコーダの番号のまま70年代のSMCのカタログに残された(ただし30センチ化)。パンチョスがコーダに録音したのはビセンテ・タタイを通じてオリェールに紹介されたからではないだろうか。ビセンテ・タタイ日本のギター界ではおよそかえり見られることはないがニューヨークではスパニッシュ・ギターの名工とうたわれた人物、そして向きはさておきヒルのレキント第1号の製作者なのだ。
録音日時は不明だがヒルが入隊する以前とは考えられず、前述のように5月7日か8月15日以降ではなくてはならない。1945年であることは、59年パンチョス初来日の時、中村とうようが持参した例の25センチLPにヒル自身が「1945年ニューヨークで録音」とサインしてるし、その盤を私も見ている。なおこのLPには「レコーデッド・イン・メクシコ」と書かれているのだが、ニューヨーク録音であることは社主も認めている。LPになっての番号とタイトルはCODA_1004.(b)
MEXICANTOS。メクシカントスでもいいがメヒカーノ(メクシャン)とカント(歌)を合成したこのタイトルは出色である(その下にカッコしてメクシャン・カウボーイ・ソングス)。曲目はマラゲーニャ・サレローサ/エル・グァジャーボ(ナバーロ作ウアパンゴ)/グアダラハーラ/ラ・クカラーチャ/シエリート・リンド・ウアステーコ/シ、シ、シ、ノ、ノ、ノ.(ナバーロ作ランチェーラ)/リロンゴ(フェリーペ・ヒル作ソン・ハローチョ)/アスタ・マニャーナ(ナバーロ作ボレロ)。以上8曲だけだったとオリエールが証言している。(ルンバ・ラプソデイなど8曲のノロ・モラーレスの録音といい、前に書いたようにLP企画だったようにおもえてならない。大会社は小会社にテストさせていたのではないのか。小会社の実績などの記録から抹消されてしまうものだ。
オリエールも最初に録音したのがどの曲であったが記憶にないそうだ。最後の曲に向後の方向への萌芽が見られるが、それはあくまでレコード上の配列であってナバーロの曲がみっとチャーロ・ヒルのがひとつ。これらはカポラーレスのレパートリーのトップ・ボイスを替えただけなのではなかろうか、カポラーレスを聞いてみたいものだ(カポラーレスはコロンビアにレコーディングしたそうだがどこからも再発売されていない)。30センチLPではジャケットにだけラ・マラゲーニャと改められたマラゲーニャ・サレローサには後年にまで続く、ほかには聞かれない前・間奏がされる。エルピディオ・ラミーレスはそのレコード(オルフェオン)でこんなことはしなかったしのPHAMからでている楽譜もAm、ラドミ・ラドミ・ラドミ・レ♯ドレのパターンだ。ラミーレスのラ・マラゲーニャは採譜だろうと思われるがベラクルス現地にはヒルが弾いているようなパターンがあるのかも知れない。とにかくパンチョスの「ラ・マラゲーニャ」はカラベーラスに先行する入手可能な最古のものだ。
さてラ・クカラチャである。バルス、ウアパンゴ、ルンバと三段がまえになっている。この古謡はアメリカでは映画「パンチョ・ビージャ」(註1.)に挿入され、テクニカラーのテストも兼ねたミュージカル映画のタイトルになるほどヒットした。34年のことである。この曲のルンバ化は誰しも思いつくことで(註2.)30年代から40年代に活躍したパン・アメリカン・マリンバ・バンドもしっかりクラベス入りのルンバで録音した。しかしウアパンゴというのはほかに例を知らない。だがファン・S・ガリードはベラクルス州の人ラファエル・サンチェス・エスコバール(1889〜1940)が1901年12月タマウリパス州タンピーコで祖母が得意だったクカラーチャを舞い歌うのを見た、と述べている。ラ・クカラーチャの起源については幾多の話が伝わっているのだが、この話はクカラーチャのウアパンゴ属ウアステーカ目タンピーコ種をナバーロ博士が紹介したことの裏づけになるかも知れない。とにかく他例のない珍品だった。
先ほどから25センチの30センチのといっているが、30センチ盤は25センチLPが淘汰された50年代中ごろに曲目はもとのままで盤面だけ大きくした(ジャケットも改変した)(註3.)ものに過ぎない。
註1.)日本でも、もちろん戦前だが「奇傑パンチョ」のタイトルで公開された。ご誕生前の筆者にはVillaがどう発音されたか知る由もない。
註2.)ペレス・プラードがクカラチャというおよそ当たらなかった録音をしたが、これはクカラーチャの語感を活用した(ムチャーチャも加味した?)のであって、ラ・クカラチャは不在である。
註3.)コーダやSMCの25センチLPは、他社にも例があるがやや厚手の封筒のような袋に入っていた。変形の(方形)の書類袋とでも言おうか。そして30センチLPでもSPの袋みたいなのに入っているのもあった。
ところでこの25センチ盤はメヒコでも発売されたことがある。ムサルトM76(c)がそれである。同社はSMCとまったく原盤契約はなく、これ一枚に限っていわゆる一本釣りしたわけである。愛すべきメヒカントの表題は消え「ロス・パンチョス」とそっけないのだがジャケットにライナーノーツらしきもの_それも役に立つもの_がほとんど掲載されることのない通例に反して(?)「セレクシオネス・ムシカレス」誌の編集長ロベルト・アジャーラがパンチョスがヌエバジョルク(ニューヨーク)で誕生したことを指稿し、これは彼らの初’期’の’録’音’と’思’う’がいささかたよりないが“ランチェロを巧みに演じていたことに驚かれよう“そして”それからのちパンチョスはリズミックなボレロに転じた”“おそらく二度と同じものは生まれない”と述べている。53年ごろの発売だろうがおよそ売れなかったろうことは想像がつく。パンチョスといえば“ボレロ”なのだ。それにすぐ30センチLPの時代になってしまった。
次の録音はシーコで行われた。シーコはシドニー・シーケルSydney Seegelがニューヨークで興した会社でシーゲル・カンパニー・イコール・シーコ。ラテン専門のレーベルで、プエルト・リコのナイチンゲールことボビイ・カポー、キューバのソノーラ・マタンセーラ、同楽団の歌手だったセリア・クルスを売りまくった。というより彼らあってのシーコといってもいいほどだった。エルマノス・マルティネス・ヒルから独立したチューチョ・マルティノス・ヒル、あのエバ・ガルサもここに録音した。パンチョスが残した曲はソイ・ランチェーロ/コンパードレ・パンチョ/ラ・バンバ/ボラーチョ・エナモラードの四曲、ラ・バンバ以外はすべてナバーロの作で、コーダ盤の延長線上にあるといえよう。両者を合わせるとちょうど30センチLP (e)ができる。LPついでといつてはいけないが、この四曲はLP化の際にまこと継子のようだった。まずラウリータ・イ・ライというランチェーロの男女カップルの四曲と組み合わせて「エコス・デ・メヒコ」(d)とする。30センチLP時代になると康価盤(10曲入り)トロピカルでチューチョ・マルティネス・ヒルの6曲と「エストレージャス・デ・メヒコ(México)、計らずもヒル兄弟の顔が揃う。これには第3幕がある。シーコがつぶれたあとウエスト・サイド・サウンド社から表題はそのまま(ただしMéjico)でCD化、(f)今度のお添えものはティト・ギサル、ルイス・ペレス・メーサ各々3曲。実はトロピカル盤そのままのCDもあったのだ。なおトロピカル盤だけボラーチョ・エナモラードが何故かボラーチョ・デ・アモールと表記されていた。
さて(a)パイロトーンPilotone盤である。オルティス・ラーモスはこのレコードをコーダ、シーコとコロンビアでの録音の間に位置づけている。彼はパンチョス加入前からアビレスそしてヒルとの友人だったアレシーボ(プエルト・リコ)の人ミゲール・マルケースのコレクションにそれを聴いてレキントの萌芽を悟った、そのことによると述べている。その曲は曲目はもちろんミゲール・マルケースによるのだがSPでアルフレード・アントニーニ楽団とアジャ・エン・エル・ランチョ・グランデ/グアダラハーラ/ラ・パルマ/デスデ・ケ・テ・フイステ/トリオでソーロ(ヒル作)/ウン・レクエルド(チューチョ・マルティネス・ヒル作)/トゥ・ビエン・ロ・サーベス/アウンケ・ロ・キエラン・オ・ノ。この内.ウン・レクエルドとのちにコロンビアに録音したのと同曲であろうソーロとボレロで、レキントの萌芽とは他曲も含めて完全ではないがレキントを試用していたのかもしれない。
谷川 越二さん サイン
(aPILOTONE 盤 葛西さん より。 
初めて聴いた PILOTONE SP盤(78rpm)Alla en el rancho grande / Guadarajara がメドレイになっている。
これがアナログの音だ。
Pilotone Albuam115 Pilotone Albuam115 a Pilotone Albuam 115 b
PILOTONE  Album 115-2
P45 5066 78rpm
Alla en el rancho grande (a)
     Guadalajara (b)
Trio Los Panchos
IRIMO (Cuban)
Alfredo Antonini and Viva America Orchesta
CODA 1004 25cm盤
葛西さん より
CODA 1004 30cm盤
MEXICANTOS
MEXICAN SONGS CODA 1004
(bCODA 1004、25cm盤音質がよい 30cm 盤 CODA 1004 加工された硬い音だ
Coda 1004 Mexicantos 25Cm Coda Alobum4 30Cm Coda 1004 Mexicantos 30Cm
(c) Musarto M76 25cm盤 葛西さん より
Musarto M76 Musarto M76 b     Musarto  M 76 Los Panchos
 A
 1.La Malagueña
  2.El Guayabo
  3.Guadalajara
  4.Cucaracha
  B.
  1.Cielito Lindo
  2.Si, Si, Si, No,No,No
  3.Lilongo
  4.Hasta Mañana
(d) SEECO SLP 21 25 cm 盤 ECOS DE MEXICO
ECOS DE MEXICO SLP 21 Ecos de Mexico SLP21                 SEECO SLP 21
                  ECOS DE MEXICO
          con el TRIO LOS PANCHOS y
                     LURITA y RAY
  A.   Trio Los Panchos
     1.Borracho Enamorado
     2.Compadre Pancho
     3.La Bamba
     4.Soy Ranchero
  B.    Laurita y Ray
     1.Que Sirvan las Otras
     2.Amores Peligrosos
     3.Quiereme Chiqueita
     4.Las Suegras
(eTROPICAL  TRLP 5017
Trio Los Panchos y Chucho Martinez Gil

Estrellas de Mexico
(eTRLOPICAL TRLP  TRLP 5129
South of the Border with Los Panchos AND FRIED MEXICOS AMBASSADORS OF SONG
TRLP 5017/5129 収録曲は同
5129 ジャケットはブロンホ BR118.シーコ 9078.と同.
TROPICAL TRLP 5017 Trio Los Panchos y Chucho Martinez Gil TROPICAL TRLP 5129 South of the Border with Los Panchos Estrellas de Mexico TRLP 5017
Al Sur de La Frontera Con
 “Los Panchos” TRLP 5129
    A.
  1.Pervertida
  2.Campadre Pancho
  3.Sinceramente
  4.La Bamba
  5.Por Eso No Debes
    B.
  1.Tus Besos Me Hacen Daño
  2.Soy Ranchero
  3.Dale Un Besito A Papi
  4.Borracho de Amor
  4.Borracho Henamorado
( TRLP 5129 )
  5.Baia
(f) SEECO SCCD-9093  ESTRELLAS DE MEJICO   Trío Los Panchos/Tito Guizar/Luis Pérez Meza
ESTRELLAS DE MEJICO SEECO SCCD-9093 ESTRELLAS DE MEJICO SEECO SCCD-9093b         CD   Trio Los Panchos
  
1.Soy Ranchero
  2.Compadre Pancho
  3.La Bamba
  4.Brracho Enamorado

             Tito Guizar
 
 5.Las Mañanitas
  6.Alla en el Rancho Grande
  7.La Malagueña

              Luis Perez Meza
  
8.Vereda Tropical
  9.La Calandria
10.El Sauce y La Paloma
CD London MCPS LM 82069 (Seeco-Tropical) Trio Los Panchos Y Chucho Martinez Gil
Trio Los Panchos y Chucho Martinez Gil LM 82069 Los Panchos y C,Martinez Gil, London MCPS LM 82069 1.Por Eso No Debes  Chucho, M, Gil
2.Dale un Besito A Papi
3.Baia
4.Pervertida
5.Soy Ranchero 
Trio Los Panchos
6.Compadre Pancho
7.Borracho Enamorado
8.Sinceramente 
Chucho, M, Gil
9.Tus Besos Me Hacen Daño
10.La Bamba
Trio Los Panchos
Los Tres Reyes

11.Espérame en el Cielo
12.Perdón

13.Preciosa

14.Te Espero
TROPICAL  TRLP5017/5129 Trio Los Panchos y Chucho Martinez Gil + Los Tres Reyes (Los Panchos) 
Perdón は別録音 既録音にパーカションを加えた録音のよう。
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