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カラベーラス,タリアクリはさておき、ボレロのトリオではハイボス、グアジャカンなどが登場するが当面の対抗勢力はビクターのロス・トレス・ディアマンテス、しかし録音量において問題にならなかった。
50年に入っても快進撃は続く。
◆アミ・マネーラ/マルセリーノ・ゲーラ作ボレロ
◆ネグリータ/同、マンボ。あまりマンボくさくはないが、気分的にはマンボである。いうまでもなくマンボはダンス 音楽だが、歌うマンボはこうなるといったところ。この50年にパンチョスは二本の映画に出ており、そのひとつは「ラ・ガジェーラ・バイラ・マンボ」という。
◆ケ・テ・パレーセ・チョリート/パナマのダンス音楽タンボリート(もしくはタンボレーラ)、もう一本の映画
「リトモス・デル・カリーベ」で歌った。
それはさておきこの年4月24日にベニィ・モーレがこれもタンボリート(もしくはタンボレーラ)の「ラ・コカレーア」とともに録音した。モーレ盤ではウルビアーノ・エレーラ作となっているが、パンチョス盤はA,コルドバ と V,カルバハル共作とされている。
◆ガジェギータ / ラファエル・エルナンデス作ボレロ
◆ロクーラ・デ・アモール / ボビイ・カポー作ボレロ
◆トゥ・ビエン・ロ・サーベス / ギジェルモ・ベネーガス・ジョベーラス作ボレロ。5年ほど前にパイロトーンで録音をしていた。
◆ウン・レクエルド / チューチョ・マルティネス・ヒル作ボレロ。アビレスはずっと後年ロス・トレス・レジェス時代にも録音。
プリンセーサ・デ・ラ・ノーチェ / ナバーロ作ボレロ。49年に「アモール・デ・ラ・カージェ」(a)というキャバレー舞台ありありの映画に出演しているが、アブルーニャ・ロドリゲスはその中で歌われたとしている。
◆ノ・メ・オフェンダス/ ヒル作ボレロ
◆プント・フィナール/ブラジルのジョセ・マリア・ヂ・アブレウ曲、ジャイル・アモリン詞のサンバ・カンサウン(49年)プント・フィナールにヒルが西詞をつけた(殆ど直訳)ボレロ。余談にになるがアモリンが詩人として売り出したきっかけはメヒコのマリア・エレーナ(ロレンソ・バルセラータ作)に、包われてポルトガル語詞をつけたことだっ
次の四曲は11月15日録音だというが最初の2曲はこの日の録音だとすると、発売までかなりの強行日程になってしまうから発売の日付けかも。もっともSPだからジャケットデザイン・製作をするわけもないのだが。
◆ノーチェ・デ・パス/グルパーの「きよしこの夜」。ノーチェ・デ・パス、ノーチェ・デ・アモール...と始まるこの詞がいつ頃から伝わるのか知らないが、パンチョス盤にはドゥランド、ペドロ・バルガス盤にはフェルナンデスの名がクレジットされている。すごいのはディアマンテス盤でチョピン(ショパン)=エンリーケ・ケサーダ!!
◆ナビダー・イ・アーニョ・ヌエーボ/ナバーロ作ウアパンゴ
◆エゴイスタ/ヒル作ボレロ
◆アルマ・デ・ネグロ/ナバーロ作パンチョス流アフロ?これはパンチョス自体が出演したのかどうかさだかではないが映画ネグロ・エス・ミ・コロールに使われたという。黒人の悲しみを歌った異色作である。そして12月に
◆シータ・エスコンディーダ/ミゲル・アンヘル・バジャダーレス作ボレロ
◆ダーメ・オトラ・コーサ/マルセリーノ・ゲーラ作グアラーチャ元の題はカンビア・エル・プラート(皿ー料理ーを替えてくれ)だった。ダーメ・オトラ・コーサ(ほかのをくれ)は副題だったのかパンチョスが変えたのか。こうして1951(昭26)年がめぐってきた。前年度中頃にカリフォルニアなどアメリカ西海岸を巡演して大成功だったパンチョスは長期にわたる中南米めぐりに出発するのだが、それを前にして1月20日に次の 曲を録音する。
◆ミ・ビディータ/ペペ・ロブレス作ボレロ
◆メヒコ/セルヒオ・デ・カルロ作ボレロ。徹底的なメヒコ讃歌で今をなおさらの感もあるがデ・カルロはキューバ人、パンチョスがイーディ・ゴーメと録音したフローレス・ネグラスは37年の彼の作品で、このメヒコも新曲とは思えない。
◆ナーダ/チューチョ・パラシオス作ボレロ
◆ボルベラス/ナバーロ作ボレロ
◆ぺカード/アルゼンチン・タンゴ史に残る(エンリーケ・マリオ・)フランチーニ(アルマンド・)ポンティエル楽団が華々しく活動していた時に珍しく両名が合作したタンゴ。アルゼンチンではさほど当たったとも思えない曲が何故といぶかられるが、南米巡演からペドロ・バルガスが持ち帰ったのかも知れない。47年以降メヒコに住んだリベルタ・ラマルケのLPには見当たらなかった。それはさておき、ペカードは第一期アビレス時代の最後の録音になってしまった。そのあとで彼らは中南米めぐりの旅に出るのだが、これがとてつもない長旅である。どうも二年ほどパンチョスはメヒコに戻って来なかったらしい。とにかくメヒコでレコーディングはしていない。しかも、先にいってしまうが、帰って来た時にはトップ・ボイスが変わっていた。Los Tres Reyes CAMDEN CAMS-645Los Tres Reyes carino DBL1-5114

           Los Tres Reyes 
                   Lad a
         1.Triangulo
       
 2.Un recuerdo
         3.Mi destino
         4.No me quieras tanto
         5.Alma llanera
                  Lado b
         1.El pecador
         2.Al final de la calle
         3.Mi curus
         4.Sin ti
        5.Buscando una estrella 
  
Los Tres Reyes Hecho en Mexico.CAMDEN CAMS-645.       carino DBL1-5114.
(a) 前に記したようにパンチョスは49年に録音し、映画でも歌ったが、楽譜は51年になって出された。パンチョスのほかにエルマナス・エルナンデスもパンチョスと同時期に吹き込んでいる。La historia 7.中ほど
(9)旅はパナマから始まった。グアテマラ.二度目のキューバ、プエルトリコ、ドミニカ、ベネスエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、どこででも大成功だった。一見したところ三人のチームワークはよくとれているようだったが実情はそうではなかった...(10)
                            
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