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リオではふたつの別離があった。
ひとつは、ロス・パンチョスとラス・ドリィである。リオでもてもてのロス・パンチョスにすれば最早彼女たちの助けは不要だったに違いない。52年5月に彼らは別れた。もともと独立したグループなのだから問題点は何ひとつなかったろう。
もうひとつは二人のメヒコ人と一人のボリビア人の別れである。申すまでもなくロス・パンチョスにはアビレスとの時期につちかってきたフォームとヒット曲があった。けれどもモレーノの声質と音域ではそれは無理、そのことがエル・グエーロには不満で、しかるべきトップと早く交替させたかった（この時期のステージなどで「ラジート・デ・ルーナ」とか「シン・ウン・アモール」とかが歌われてたとはとても思えない）。
けれどもトップの交替を望んでいたのは、ナバーロの方だろう。モレーノの声はあまりにもナバーロのそれに似ていた。だから前述の「カリダー」のような効果もあるし、「フレネシ」では一方が上から下へ、他方が下から上へ、その途中で交錯するというアレンジもできたのだが、ナバーロにしてみれば歌いにくかったろう。
次の巡演地がカリベ海のドミニカであるのを幸いに、その途中プエルト・リコに立ち寄り、新しいトップを加えようとヒルは、プエルト・リコに戻っていた旧知のラファエル・エルンナンデスに電話で人選を依頼する。
この時点でシャウ・モレーノの退出、あるいは追い出しは決定的となる。表向きはモレーノがソロ歌手として独立することを求めたからということになっているし、喧嘩別れでもなかった。このことはモレーノがロス・パンチョス25周年リサイタルにゲスト参加していることや、歌わなかったが彼らの日本公演に同行して来たことなどが示している。(作成者注)
けれども後年、モレーノとヒルの仲が決定的にこじれたことが③に記されている。同書はエル・グエロの汚点を赤裸々に暴露しているのだが、これもそのひとつ。かいつまんで記すと《1970年ごろ、完全にコカイン中毒のヒルは、ロス・パンチョスの歴史映画を作るとてモレーノに協力を依頼、資金援助のため彼がメヒコに持っていた家財のあらかたを二束三文で売り払ってしまう。もちろん映画は実現することなく、モレーノ家はなんとかブエノス・アイレスに定住できた（2003年4月16日、同地で他界）。
1992年ロス・パンチョス（バスルト＝ナバーロ＝バルガス）が同地のグラン・レクス劇場に出演した時、ナバーロはシャウ・モレーノにゲスト出演を呼びかけ、彼も楽屋でスタンバイしていたのにも拘らず、ナバーロ夫人の策略で実現せず。なおモレーノとその妻リリアとの間の子カルロス・アルベルトのパドリーノ（代父）は、エル・グエーロである》。
もとに戻ってラウル・シャウはいつごろまでロス・パンチョスにいたのだろうか。③は彼の在団期間を1年だとしているのだが、それなら1952年10月ということになる。しかしヒルとナバーロは10月10日にプエルト・リコで次代トップとなるフリオ・ロドリゲスと初対面しているのだから、これは不自然である。一方②には《在団期間は1年弱、正確には9ケ月》とあり、これなら8月ごろ。こちらの方がただしいだろう。
プエルト・リコの青年、フリートの愛称で親しまれるフリオ・ロドリゲス・レジェスJulito“Julito” Rodoriguez Reyes の歌声と作曲才能にいっぺんで魅せられたヒルとナバーロ（初対面のあいさつ替りに彼は出来たばっかりの自作「マル・イ・シエロ（海と空）」を歌って聞かせた）は、ロス・パンチョスに彼を加えた。シウダー・トルヒージョ（ドミニカ）でデビュー、なんと11月にはニューヨークで新編成での初録音が行なわれている。(Mar y Cielo- Gusto Latino, Nippon)
ニューヨーク行ったのは、なにもレコーディングのためだけではなかった。サン・ファン劇場のレビュー出演のためである。いくつもの出演者が歌ったり踊ったり、はたまた寸劇ありのにぎやかなステージ、それがレビューだ。
なんとこのレビューにはラス・ドリイも出演していた。偶然なのか、計画してのことかは分からない。5月にリオで別れたのちも、行く行くは夫婦と約束した仲のチューチョとカリダーなのだから連絡しあってはいたであろうけれども。
いずれにもせよ、興行期間（せいぜい二週間）が終れば互いに別の方角へ。
さて「ロ・ドゥード」である。この曲のレコーディングでなじみ深いのはフリート期のそれだ。けれども最初の吹込みはモレーノ期になされていた。フリート期の「ロ・ドゥード」と構成も違うしどこか試作品めいた感もある。
①によればフリート期の「ロ・ドゥード」の録音は53年の後半である。それで楽譜の発行が54年なのも合点することができる。
この「ロ・ドゥード」の楽譜が非常に珍しいものであった。私の手元にある楽譜たちの中で唯一の珍品である。楽譜とはピアノ譜でなくてはならない。ギター譜とかトランペット譜などもあるけれども、それらは特種であって、一般には通用しない。
楽譜はどのようにして商品化されるのか。つまり出版社が自社の所有物として権利を主張できるようになるのか。作曲者が出版社に持ちこむ、あるいは出版社が依頼したり発見したりして手元に届く時点の楽譜の大部分はメロディだけしか書かれていない。つまり楽譜の体をなしていないのである。それを形にするのが出版社の仕事である。専門家を雇っている。ピアノの高音部（メロディ）と低音部をキチンと書く。アタマからすぐにメロディでは楽譜の形にならないから序奏をつけ加える。言ってみれば序奏部は彼の作品である。その曲が実際に演じられていた時の序奏などまったく無視（と言うよりも意中にない）されて、メロディの一部を借用するか、お座なりのメロディを作り出すか、いずれにもせよ、ちっとも面白くもおかしくもないのが普通だ（もっとも序奏が良すぎてもこれまた困りものではあるけれど）。この編作者の名は、例えばギター・ソロ用とか、ピアノ譜であってもピアノ・ソロ用のアレンジでない限り記入されることは皆無である。(Lo Dudo-Antonio koga y tsuruoka)
このような楽譜の代表例をごらんにいれよう。53年EMMI刊のヒル作「デサンパラーダ」である。ロス・パンチョスやエルマノス・マルティネ・ヒルの演奏のイメージにはおよそそぐわない。歌謡学校の先生が生徒の伴奏をする際に弾くフレーズがこれなのだ。マエストロは和音をジャンと叩き「ハイ」と歌わせるようなことはしない。それでは生徒だって気分が乗ってこないからである。しかし楽譜としては前に言ったように面白くもおかしくもない。以上のことを念頭において「ロ・ドゥード」の楽譜を見てみよう。54年の同じEMMI社の発行である。
なんとなんと、ヒルのレキントのフレーズそのままではないか。16分音譜の行列なんか泣けてくる。こんな楽譜はめったにお目にかかれないものだ。
強いて類例を探すとエルピディオ・ラミレスのウアパンゴ「ラ・マラゲーニャ」があるのだが、この曲は誰が演じても共通項といえるパターンで演じている（ロス・パンチョスだけが例外）から、その合成型にならざるをえない。
フリートを加えたロス・パンチョスが初めてメヒカーノの前に姿を見せたのは、53年になってからである。初吹込みのレコード ― フリート自作の「マル・イ・シエロ」とヒル作の「ジャ・メ・ボイ」米国でのナンバー（EPシングル）4.39916 ― はじめ音は既にメヒコにとどいていていたから、アビレス期と同じよう音だけで実体のないロス・パンチョスにメヒカーノはじれていたはずである。ここで48. 9年ごろとまったく同じことが起きる。映画出演である。メヒコに帰って来たといっても出演場所は限られている。テレビの発達していなかった時代、一般大衆の最大の娯楽は映画だったのである。53年のうちにロス・パンチョスは…・・・
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