谷川 越二さん より 新しく「チューチョ・ナバーロ Historia de un amor : versión de Chucho Navarro」届きました。
ま え が き
ここに記すことは小説、それともメロドラマのようであるけれどもあくまで実話である。本すじから離れた、しかし重要な話を “外伝” といい、およそ三百篇はくだらないという赤穂浪士のそれが有名だが、
これはトリオ・ロス・パンチョス外伝である。
おもな参考文献は次のとおり。
@などの数字は、本文中で引用をはっきりさせるところに略記号として用いるため(例えば、Aによれば)。
@A Tres Voces Y Guitarras / Pablo Marcial Ortiz Ramos / 1991サン・フアン_プエルト・リコ 本書は「プエルト・リコ!カリブのラテン・トリオ」の題で2007年に彩流社から訳出書が出された。写真はオリジナル以上に充実している。
ALos Panchos / Edna Abruña Rodoríguez / 1991 筆者はプエルト・リコ人だが、どこにも出版社・国名がない。
BLos Panchos / Celina Fernández / 2005マドリード、エスパーニャ 筆者はオリジナル・パンチョスの最後のトップ・ヴォイス、ラファエル・バスルト・ララ夫人。結婚以前のパンチョスに関してはラファエルから聞いたこと、あるいは彼の口述だろう。バスルト夫妻はマイアミ、USAとマドリードに居を構えているので本書もマドリードで出された。
CHistoria De La Músíca Popular En México(1896〜1973) / Juan S,Garrído / 1974 メヒコ市
DHistoria De La Músíca Popular Mexicana / Yolanda Moreno Rivas / 1979 メヒコ市
Historía de un amor : versión de Chucho Navarro」  谷川 さん
index Chucho Navarro_@ A B C D E F G H I I@ IA IB I@D ID
キューバの美形双子姉妹カリーダとメルセデス・バスケスCaridad と Mercedes Vazquezがメヒコへ来たのは1951(昭和26)年のことだった。推定18歳。カリーダは慈善、メルセデスは慈悲を意味する、カトリックの国ならではの名前であるけれどもこの名で彼女たちを知っているのは近親者とか関係者だけでしかない。
ムンド・アルティスティコ、すなわち芸能界における二人の名は個々の名は伏せて、ラス・ドリイ・シスターズ Las Dolly Sisters 職業はショウ・ダンサー。
一説によれば彼女たちをメヒコに呼んだのは人気絶頂のマンボの王様ペレス・プラードだったという。であるならば、キューバで彼女たちは結構売れていたのでは、ということにもなるが、チャンスを求めてメヒコへ来たところをペレス・プラードの目にとまったという程度のところだったのかも知れない。そんなせんさくは無意味だから止めるとして、ラス・ドリイ・シスターズがペレス・プラード楽団で踊ったのは事実だ(a
1975年にメヒコRCAはMKS_2034「テイボリ Tivoli」というLPをリリースした。「テイボリー」は50年代に盛況だったメヒコ市のシアター・ナイトクラブ・レストランで、このレコードは同店を舞台にしたアルベルト・イサアク演出のドタバタ(多分)コメディ映画に使われた音楽を集めたものだった。映画そのものを観たわけではないからはっきり断言はしかねるが、映画のための作品はLP14曲のうち6曲だけ、あとは往時の、つまり「ティボリ」歌われた人気曲を収めている。いわくマリア・ルイサ・ランディンの「アイ・ケ・サベール・ペルディール」ディアマンテスの「別れの歌」ペレス・プラードの「マンボ第5番」「タクシー・マンボ」果てはオルケスタ・アラゴンの「ノソートロス」。オープニングやフィナーレのサウンドとちぐはぐながら、半世紀前の「テイボリ」に居る気分にはさせてくれる。
下の写真は同LPのジャケット裏にあったもの、(ぼんやりしているのはコピー機のせいではない)。疑いもなくペレス・プラード楽団で、御大は中央にいる。その前方の二人こそラス・ドリイ・シスターズ>
これが映画の場面なのか、別の機会なのかは知らないが、ペレス・プラードも彼女たちもゲストとして作品に出ていた。50年代追憶の意味を持つ映画であれば、彼女たちがペレス・プラード楽団で踊っていたことのあかしとなろう。ラス・ドリイ・シスターズというネーミングもしゃれたものだ。
ドリイとは英語である。まだことばがおぼつかない幼児がドール(人形)が発音できなくてしゃべる、もしくは親が口にする幼児語である。つまりお人形サンではなくおニギョチャ。スペイン語圏の人にも発音しやすい言葉だ。シスターズがシステルスに化けようとも。そしてこれは省略もされるがスペイン語の定冠詞ラスをつけることで英語名ではあるけれどもラテン系なのだと分からせるようにしているのがニクい。
双子とはいいながら、この二人まことによく似ている。日本でいえばかってのザ・ピーナッツか、最近なら菜奈と佳奈、メヒコでは男性だが「フロール・シルベストレ」の作者たちクアテス・カスティージャ。
二人が同じ振りでも面白いが、左右正反対に踊れば鏡を置いたかのような効果があったろう。けれども私は後述する映画で彼女たちの踊るのをちらっと見ただけ、そこではよく似た二人が踊っているなぐらいの印象でしかなかった。前ページの写真はあまりにも不鮮明、次のbページにもう少しましなコピーをごらんにいれる。出どころは「ラディオ・カンシオネーロ」誌第18号(1960年1月刊)。
少し余談をつけ加えておこう。
メヒコの一般向け音楽誌のページの七割から八割は、なんの脈絡もなく歌詞で占められている。読者の望むのもそれだ。ひところ版権上の問題で歌詞が掲載できなくなった時、雑誌の売り上げががた落ちしたものである。
歌詞を並べるだけだから、必然的に余白が生じる。すると、へたなイラストや写真で埋める。写真の場合、その歌詞と関わりのある歌手のそれであることもないでもないが、殆どがセミヌードの美人でごまかす。そして誰それなどというキャプションはつけない。次ページ(bの写真コピーはその典型的な例である。。これでは彼女たちは指名手配中みたいだ。

Navarro_A お人形姉妹はナイトクラブ「ピエドラス・ネグラス」に出演した。いろいろつき合わせてみると51年1月20日以前、もしくはその近辺である。ペルラ・ネグラ(黒真珠)。という曲があるがピエドラス・ネグラスは黒い真珠・・・・・
Perez Prado y Las Dolii Sisters Las Dolii Sisterrs
(b)
a)Perez Prado y Las Dolii Sisters
Las Dolii Sisters Radio Cancionero No_18. 1960.1.
Index Back